コップ座 Crater 見やすい季節 春 |
撮影日:2013年03月12日 22h11m44s 赤道義:ビクセンGPD カメラ:キャノン 5D-MarkU(ISO800) レンズ:ニコン28mmF1.4(絞り2.8) フィルター:なし 露出:5分×2枚 総露出:10分) 撮影地:奈良県大塔町龍神天体観測所第3観測所 |
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コップ座の星座絵 ステラナビゲータVer.10/(株)アストロアーツ の星座絵をコピーにて使用しています。 |
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コップ座の星座境界線+明るい星雲星団 ステラナビゲータVer.10/(株)アストロアーツ の星座絵をコピーにて使用しています。 |
コップ座の見つけ方 |
コップ座は ぜひのよく晴れた夜に探してみてください。 |
コップ座の神話(諸説あり) |
コップ座はコップではなく大きな杯であるが、芸術と遠矢の神アポロンのゴブレットや酒の神デュオニソスの杯ともいわれています。 その神話の中で、アルゴ船の続きにあたるお話があります。アルゴ船(とも座、ほ座、らしんばん座、りゅうこつ座)の神話参照。 金羊毛を手に入れて帰国したイアソンとメディアは、叔父のペリアスに金羊毛を見せ、王位を返してくれるように言いましたが、何のことかととぼけまし た。王位を奪われた時の話をメディアにすると、いい方法があるとイアソンに言いました。メディアは火竜の馬車で9日間薬草を探すため駆けめぐり、色 々な薬草を集めて持ち帰りました。 ペリアスの娘達は年老いていく父を気遣っていたので、メディアはいいものを見せてあげると呼びました。そして、集めてきた薬草と新月の砂、ふくろう の首と羽、鳥の頭、狼と羊のはらわたなどを鍋で煮ました。そして老いた羊を切り刻んで鍋の中に放り込みました。すると、若返った羊が出てきました。 そして、メディアはペリアスの娘に材料を渡しました。そして、ペリアスの娘達は材料を鍋で煮込み、父を切り刻んで鍋に放り込みました。しかし、父ペ リアスは生き返りませんでした。メディアが材料をすり替えていたのです。それを知った息子のアカストスが2人を追いかけ、イアソン達はコリントスま で逃げました。そこで暮らしたイアソン達に2人の子供メルメロスとペレースが生まれました。 しかし、コリントスの王クレオンによって離婚させられ、イアソンは王女グラウケと結婚させられます。メディアはお祝いとして花嫁衣裳を送りました。 グラウケが花嫁衣裳を着ると、たちまち火に包まれ宮殿とともに王クレオンも焼け死にました。怒った民衆により、2人の子供が殺されてしまいます。 唖然となり、1人になってしまったメディアは天馬車に乗ってアテナに行きました。 アテナの王アイゲウスには子供が無く、ポイボス・アポロン神殿にてデルフォイの神託を受けたが、子供を授かる方法を理解できずに、帰りに寄ったトロ イゼンの王ピッテウスに相談しました。ピッテウスは神託の意味を理解し、アイゲウスに酒を呑ませて酔わせ、娘のアイトラと寝させた。その後、ポセイ ドンもアイトラの元へ来て交じってしまいます。後にアイトラはポセイドンの子テセウスを産みますが、そうとも知らないアイゲウスは、アイトラにもし 男の子が生まれたならば、父の名は伏せて育て、岩の下に隠したサンダルと刀を自力で取れたら私のところへ来るようにと伝えました。 アテナに着いたメディアは、アテナの王アイゲウスの妻となり、メードスという子供を授かりました。 テセウスは16歳になると岩をも持ち上げるたくましい若者に成長し、アテナに向けサンダルと刀を持って、安全な航路より危険な陸路で旅立ちました。 トロイゼンを出発し、エピダウロスという港町にヘパイトスの息子ペリペテスが棍棒を持って旅人をなぐり殺していました。そのペリペテスをテセウスが 倒し、棍棒を貰って武器にしました。コリントスでは、松の木を曲げて旅人を飛ばして殺していたシニスを同じ方法で殺し、娘のペリグネとの間に子をも うけた。イストモスではクロミュオンの猪(残忍な女盗賊の異名という説も)と呼ばれた獰猛なパイアという猪が村人を殺していたので、テセウスがこれ を退治した。メガラでは、テセウスの従兄弟で盗賊のスケイロンが、旅人に足を洗わせながら海に突き落とし、海がめのえさにしていたのを、足をつかん で海に放り投げて殺しました。エレウシスではケルキュオンがレスリングで旅人を殺していましたが、テセウスによって倒されました。最後にエレウシス の丘にアジトがあるプロクルテスは旅人を遠くから見つけ、身長と違うサイズのベットに調整し、旅人に寝床を提供してベットより身長が低ければ手足を 引っ張って延ばして殺し、身長が長ければ頭や足を切って殺していました。テセウスはプロクルテスをベットに寝かせ、頭と足を切って殺しました。 そして、ようやくアテナに到着しました。 王の子供はメードスだけだと思っていたのに、他に子供がいることを知ったメディアは、王にテセウスという若者が何か企んで来ると伝えました。 我が息子テセウスがいることすら知らないアイゲウス王は、若者にアテネから北東にあるマラトンで暴れている白い牡牛(ポセイドンがミノス王に授けた 牡牛)(かんむり座とヘラクレスの12の功業の7番目の神話参照)を退治するように言いました。容易く退治して、父アイゲウス王の元へ連れて帰って来 ました。驚いたアイゲウスは、この牡牛をアポロンに生け贄えとして捧げました。 これを祝して盛大な宴を開きましたが、メディアはテセウスを毒殺しようと毒入り杯を渡しました。飲もうとしているテセウスの持っている刀が、我が子 に贈った刀であることに気付いたアイゲウス王は、杯を叩き割りました。 アイゲウス王は全てメディアの策略だったことに怒り、メディアとメードスはアテナを追われ、故郷のコルキス(グルジア国)へ逃げて帰りました。国へ 帰ると父アイエテス王は追放され、兄弟のペルセスに王位を奪われていました。そしてペルセスはメディアもしくはメードスに殺されたと言われています。 メディアが薬草などを煮た鍋が、メディアの杯としてコップ座になったとされています。 |