「鮨職人」


・・「鮨職人」・・


 職人といえば、偏屈で頑固者という評価が通り相場ですが、鮨職人もご他聞には洩れません。職人が頑固で偏屈に見え
るのは、多分に誤解と偏見も含まれて居るうちは思われますが、仕事に対する考え方や取り組み方が、そういった印象を
醸し出している感は否めません。

 職人の世界は非常に偏狭な間口でありながら、途方も無い程の知識の奥行きと熟練を求められるもので、職種の如何を
問わず一人前の職人になる事は並大抵ではありません。今時、その職人の存在を聞く事はありませんが、昔は飯を炊くだ
けの「飯炊き職人」という職業がありました。専ら飯を炊くという、一見誰にでも出来そうな仕事でありながら、米の種
類から産地、その米の乾燥具合や保存状態を見極める目と、それに応じた水加減と火加減を察知する感。更にその土地の
水や燃料の種類と火力、春夏秋冬ごとに変化するそれらの状態を考慮しながら飯を炊く熟練の技は、余人の真似の出来る
るものではありませんでした。

 職人の仕事は、感性と洞察力なくして存在できるものではありませんが、これを身に付ける事は容易ではなく、況して
それを他人に教えるという事は不可能に近く、職人の仕事は「見て盗む」以外に習得の道はありません。又、職人の仕事
には決まり切ったものも無く、その人間の個性が限りなく発揮されるもので、他人に説明して理解されるような類のもの
ではなく、必然的に仕事に対する口は重くなりがちです。然し、鮨屋の場合、グルメブームもあって、鮨業界の情報から
漁場の知識から魚の旬まで、お客さんの知識も相当なものがあり、その知識を根拠にして職人に挑んでくるお客さんも少
なからず居ますが、如何せん広いけれども浅い素人の知識に対して、偏屈な頑固者を装って対応するのも鮨職人の思い遣
りの一環です。

 料理界で唯一職人を名乗る我々ですが、その仕事を正しく理解する人は余り居ません。刺身を鮨飯の上に載せて握るの
が鮨職人の仕事と思われ勝ちですが、それは我々の仕事のほんの一部分でしかありません。我々の業界では、十年修行を
しても中々一人前として認めて貰えませんが、それは鮨を握る技術を指していっている訳ではありません。料理の世界で
は様々な本が出版され、鮨の本もその一角を占めていますが、他の料理の本と違って職人が見て参考になるようなものは
何一つなく、鮨好きな人が見て楽しむ程度のものでしかありません。腕に覚えのあるシェフや料理長は出版しますが、如
何に腕に覚えがあっても本当の鮨職人は鮨の本など出しません、というよりその内容の全てを書き尽くす事は不可能なの
です。

 本来、カウンターといえば鮨屋と相場は決まっており、昔はそのカウンターに座って鮨を食べるというのが憧れであっ
たという話を、お客さんからよく聞かされたものです。偏屈で頑固そうな職人が素手で鮨を握り、しかも値段の表示も無
いとなれば、中々素直な気持ちで鮨屋の暖簾はくぐれないのは当然で、回転寿司や明朗会計で廉価を標榜する鮨屋が無か
った時代では、一生のうちに一度も鮨屋に行った事が無い人が殆どでした。他の高級料理店を訪れるのを憧れる事もある
でしょうが、鮨屋のそれとは少し事情が違います。鮨屋は、誰にでも同じ料理を出す事を求められる他の料理屋と違って、
カウンターに座ったお客さんだけの為に鮨を握る関係上、そのお客さんの体調や精神状態を察知する事も重要な仕事で、
それに応じてシャリの加減やネタの加減を微妙に調整します。その弊害で、食べる側のお客さんの資質に言及する事もま
まあり、鮨を食べるお客さんの状況を見て「俺の鮨を食う資格が無ぇ」と、握るのを途中で止めて若い衆にバトンタッチ
するのは日常茶飯事で、それでも目に余れば「帰ぇって貰え」の一言でけりをつけます。

 食事には良くも悪くも人間性が現れますが、それで商売をしながらそのお客さんの人間性にまで言及するのは鮨屋以外
には、否、鮨職人より他には居ないでしょうが、嘗て鮨屋の客となることに憧れた背景には、その鮨職人に認められれば
社会人として一人前という思いが、お客さんの側にも少なからずありました。然し、今や鮨職人は絶滅危惧種であり、鮨
屋は旺盛でもカウンターに立つのは、「お客様のニーズにお応えする」調理師が専らです。お蔭ではらはらドキドキとい
う鮨屋もすっかり無くなりましたが、シーラカンスの様な鮨職人の居る鮨屋を見つけたら怖がらずに握って貰ってくださ
い。鮨を味わう為にはその鮨を握る職人も共に味あわなければ、本当に鮨を味わった事にはなりませんが、一度や二度で
ガードを下げさすのは難しくても、馴染みさえすれば乙な時間が過ごせる事は確かです。値段にしても、一等地や格式の
ある鮨屋の値段表がないのは保障しませんが、魚の部位や状況が春夏秋冬を通じて画一的な状態が殆ど無いと云う関係上、
書かないのではなく書けないのが本当のところで、心配する程のところなら二十年も三十年も続いてはいません。

 それが、十年経っても一人前と認められない一因でもありますが、鮨職人は、お客さんの体調や精神状態を見抜く必要
がある関係上、必然的に人間の意識のあり方や動向を読む事に長けており、お客さんの側も単に鮨を食べるだけでなく、
話を聴く口実に鮨を食べに来たり、人生相談を目的に来るという不思議なところでもあります。これは、鮨職人をしてき
た中での経験によって導き出したもので、唯一仕事の一環を筆舌に尽くせる部分です。大した造詣でもありませんが、参
考に出来るものがあれば是非役立ててください。


・・「鮨職人の造詣」・・


一・・・・・・・後悔は時と共に萎むが、やらなかった後悔は時と共に膨らむ
二・・・・・・・他人の失敗を教訓にしなければ、何れ自分がその轍を踏む
三・・・・・・・結果を創造出来ない人は、どんな大胆な行動も躊躇しない
四・・・・・・・都合と利益の共有は、良好な人間関係の礎
五・・・・・・・危険は忘れる事によって近付き、意識する事によって遠ざかる
六・・・・・・・後悔と懺悔は、繰り返す事によって慣れる
七・・・・・・・怒りは、力不足の正当化
八・・・・・・・不必要な怒りと、無意味な笑いには打算が潜む
九・・・・・・・正義感と正論は、欲求不満の捌け口になり易い
十・・・・・・・周到な企みを習慣的行動が支えた時と、偶然の時に念願は成就する

十一・・・・・・自殺と結婚は、熟慮するほど実行出来ない
十二・・・・・・笑顔に惚れる時は、怒った顔も想像しなければならない
十三・・・・・・良い話を持ってきた時は、誰にとって良い話かを聞き分ける必要がある
十四・・・・・・頭が一生懸命働いている時は体が留守、体が一生懸命働く時は頭が留守
十五・・・・・・自分の存在の意義を自問しつつ、生涯を閉じるほど無念はない
十六・・・・・・挫折は、安易な計算と諦めの速さが定番
十七・・・・・・常に相手を尊重すれば、飽きられる
十八・・・・・・「直ぐに返す」という借金に、誠意は無い
十九・・・・・・無駄を省く事によって開いた活路は、その内に行き詰る
二十・・・・・・同情してくれる友人は出来易いが、喜びを共有する友は出来にくい

二十一・・・・・信頼の押し付けは、人間関係の怠慢
二十二・・・・・緊張は、自意識過剰
二十三・・・・・煩悩は、想像力の迷走
二十四・・・・・執着は、想像力の固執
二十五・・・・・うつ病は、想像力の萎縮
二十六・・・・・不安は、想像力の消沈
二十七・・・・・怒りは、想像力の暴走
二十八・・・・・恐怖は、想像力の減退
二十九・・・・・優柔不断は、想像力の分裂
三十・・・・・・達成感の不足が、他人の評価を気にさせる

三十一・・・・・恋愛は、一種の発情期
三十二・・・・・恋愛の炎は、生活基盤を共にする事によって鎮火する
三十三・・・・・人は、他人の死に哀悼し、身内の死に慟哭し、自分の死に戸惑う
三十四・・・・・追い銭は、諦観した方がよい
三十五・・・・・不幸は其の時に分かり、幸福は後で分かる
三十六・・・・・切花的発想をする人は、言葉に酔い易い
三十七・・・・・警戒心の欠落は、災難の餌食
三十八・・・・・言葉で騙す人間は、行動を隠す
三十九・・・・・社会は、常に企みを持って動く
四十・・・・・・相手を理解する前に自分を理解させる努力が、人間関係を難しくする

四十一・・・・・過信は錯覚により、自信は思い上がりによる
四十二・・・・・現実逃避は、悩みをより深刻にする
四十三・・・・・相手に対する好悪感は、自意識の反映
四十四・・・・・惚れ易いのと飽き易いのは、表裏
四十五・・・・・事の善し悪しは、見る側の見解に過ぎない
四十六・・・・・愚痴と文句は、適応力の無さが言わせる
四十七・・・・・生きる事に、特別な意味があると想う錯覚が人生を惑わす
四十八・・・・・人は、屑にも仏にもなれる
四十九・・・・・死に、意味を見出すのは、当人ではなくそれに関わった人達
五十・・・・・・言葉は、重ねるほど本質から遠ざかる

五十一・・・・・自分が満ち足りない分だけ、他人が気になる
五十二・・・・・悲観と自惚れは、心の中だけの出来事
五十三・・・・・固執は、本質を理解出来ない人がする
五十四・・・・・言い訳を納得するのは、当人のみ
五十五・・・・・目的と手段の錯誤は、至った後に戸惑いを生む
五十六・・・・・誰にでも優しい人は、家族を泣かす
五十七・・・・・他人を責めるのは、つまずいた石を責めるのと同じ
五十八・・・・・物事の難しさは、始める事ではなく維持する事にある
五十九・・・・・虎の子は、儲け話に弱い
六十・・・・・・恋愛は逆境に燃え、結婚はそれで壊れる

六十一・・・・・親の離婚は、娘に遺伝しやすい
六十二・・・・・社会は、自分の力を発揮しない人に興味を示さない
六十三・・・・・危機感の無いところに、向上心は興らない
六十四・・・・・優しさと思い遣りは、相手を選ぶ
六十五・・・・・性格の改革は、演じれば足りる
六十六・・・・・災いの芽は、他人には見える
六十七・・・・・学問を修めた人は、其の範疇を超える事が難しい
六十八・・・・・相手の査定は、定期的にして置かなければ誤差が生じる
六十九・・・・・マニュアルを頼ればオリジナルティが無くなる
七十・・・・・・節操の無い優しさと厳しさは、恨みを育てる

七十一・・・・・嫌いにならない努力と利害の一致が、人間関係を維持させる
七十二・・・・・発想と見解の相違は、熱が冷めた頃に露呈する
七十三・・・・・進化は、習慣的負荷がもたらす
七十四・・・・・夢と希望は、艱難辛苦の鎮痛剤
七十五・・・・・他人の出世話は、参考にならない
七十六・・・・・貧困と危機感は生活力を育て、庇護と援助はそれを奪う
七十七・・・・・思い込みと決め付けの先には、外れた思惑が待つ
七十八・・・・・補強しない支えは、大きくなって倒れる
七十九・・・・・腕の悪い医者は、犯罪者より怖い
八十・・・・・・相手の顔色を窺えば、相手も亦それを窺う

八十一・・・・・地球の重さに勝るのは、人の命ではなく自分の命、それが人の基本
八十二・・・・・訴える人は、それが自分の都合だけで構成されている事に気が付かない
八十三・・・・・その常識の根拠を理解しなければ、その常識に振り回される
八十四・・・・・比較対象の中にしか価値を見出せないのは、自己不在の表れ
八十五・・・・・自分の生き方を問うのは、散歩の道筋を尋ねるのと同じ
八十六・・・・・護る側は闇を恐れ、攻める側はそれに乗じる
八十七・・・・・実践しない人ほど、よく考える
八十八・・・・・自分の非を詮索しない人ほど、相手の責任を追及する
八十九・・・・・自分の葬式の執行猶予と思えば、何でもやれる
九十・・・・・・失敗の原因を相手に求める人は、それを繰り返す

九十一・・・・・空腹に魂を売る人は、満たされた時に前言を翻す
九十二・・・・・人を磨くのは、歳月ではなく向上心
九十三・・・・・節操と見境の無い人には、その言葉の意味が理解できていない
九十四・・・・・現金に心奪われる人は、それが手段である事に気が付かない
九十五・・・・・蜜の味を覚えた未熟者は、歪に育つ
九十六・・・・・生半可な才能に頼れば、身を滅ぼす
九十七・・・・・危機感を感じて備えない人と、現実を把握せずに行動する人は懲りない
九十八・・・・・進歩する人は自分に抗い、堕落する人は自分に従う
九十九・・・・・嘘を見抜く時は、その原因も見抜かなくてはならない
百・・・・・・・自分の問題と他人の問題を錯誤する人は、心中穏やかな日が無い

百一・・・・・・運命は、その人間の想像力と行動が決める
百二・・・・・・裏切られた期待の責任は、掛けた側にある
百三・・・・・・持って生まれた性格に泣くのは、自分の足につまずくのと同じ
百四・・・・・・他人の痛みが解からなければ、自分を護れない
百五・・・・・・平凡な事を難解にして煩うのも、凡人の業
百六・・・・・・明日を想う人は今日に疎く、今日を想う人は明日に疎い
百七・・・・・・善悪の見解は、見地によって替わる
百八・・・・・・立腹も癖のうち
百九・・・・・・人は、不幸にも幸福にも慣れる
百十・・・・・・人は、安心を求めて不安を囲う

百十一・・・・・根拠の無い心配と安心は、時間の浪費
百十二・・・・・時の流れは、待つ人に遅く、忘れた人に早い
百十三・・・・・人は、他人よりも自分に騙され易い
百十四・・・・・自分に正直に生きれば、後は泣くだけ
百十五・・・・・人は、自分の意思に従って生きていることを忘れ易い
百十六・・・・・考えない愚かさは、考え過ぎる愚かさに勝る
百十七・・・・・成せば見え、行えば自ずと悟る
百十八・・・・・人は、他人に干渉する分だけ、自分の人生を忘れる
百十九・・・・・思い込みは、目と耳を塞ぐ
百二十・・・・・自作自演の作品を、自分で味わうのが人生

百二十一・・・・悲観するのも楽観するのも癖の内
百二十二・・・・人の上に立つ人は、肩書きが人を動かしていることを忘れ易い
百二十三・・・・仕事の不満は、自分の為に働かない人の口から出る
百二十四・・・・知恵を巡らせない人は、安易な金策に走る
百二十五・・・・結果は求めるものではなく、創り出すもの
百二十六・・・・居直りと脅しは習慣化する
百二十七・・・・綿密に謀り、大胆に行い、繊細に収めるのは諸事の基本
百二十八・・・・世間と自分を知らない人は、恐れも知らない
百二十九・・・・不幸と幸福を語る人は、その経過を忘れる
百三十・・・・・自分の力を発揮しない人ほど、安易に運を天に任せる

百三十一・・・・満たされなかった子供は、早く熟す
百三十二・・・・勘は経験によって養われ、依存する事によって廃れる
百三十三・・・・消極は迷いを生み、執着は苦悩を生む
百三十四・・・・不満と満足は、気持ちの持ち方による
百三十五・・・・食べる心配の無くなった人は、新たな心配を囲う
百三十六・・・・災いの種は、危機感の無い所を好む
百三十七・・・・争う人は、無言を怖れる
百三十八・・・・子供は、家庭の空気を肌で感じて育つ
百三十九・・・・想う事は際限なく、考える事は行き詰る
百四十・・・・・腹の中に口を持てば心が騒ぎ、心の中に耳を持てば腹が鎮まる

百四十一・・・・言葉の向こう側に耳を傾ける人は、言葉に惑わされない
百四十二・・・・充実して生きる人は今に幸せを感じ、漠然と生きる人は明日に幸せを求める
百四十三・・・・形を重んじる人は、その修復に神経を費やす
百四十四・・・・多少の見栄と、僅かな意地と、少々の恥じらいは人間の嗜み
百四十五・・・・悲しみは、誰にも分かって貰えない事で深まる
百四十六・・・・形に囚われる人ほど、その形の謂れを突かない
百四十七・・・・他を羨む人は、創造する喜びを知らない
百四十八・・・・待遇に不足を感じる人は、自分の働きを振り返らない
百四十九・・・・人生の荷物が軽い時の生き方が、その後の生活を左右する
百五十・・・・・頭で覚えたものは忘れ、体で覚えたものは残る

百五十一・・・・一方的に誰かの為に働いたとしても、何がしかの利益は必ず手元に残る
百五十二・・・・やる気のない人は、窓の外が気に掛かる
百五十三・・・・頭に答えを描く人は、忠告に耳を貸さない
百五十四・・・・落ち込んで気の滅入る時は、気分転換に居直ってみる
百五十五・・・・実行出来ない理由が口から出たときは、やる気の無い時
百五十六・・・・泣いている人を宥めるのは、空腹者の食事を中断させるのと同じ
百五十七・・・・言葉と力に頼る人は、相手を見る事を忘れ易い
百五十八・・・・威圧や威嚇を常とする人は、窮鼠に弱い
百五十九・・・・自分の懐の深さは、窮地に陥った時に分かる
百六十・・・・・気概のない人は、退屈と友達

百六十一・・・・過剰な自信は、判断力と観察力を失う
百六十二・・・・苦労は、苦労だと感じた時に、苦労として認識されるだけ
百六十三・・・・言葉を鵜呑みにするのは、料理を丸呑みにするのと同じ
百六十四・・・・未来を想像して、その過去を道とする人は迷わない
百六十五・・・・不足の無い人生は、その内に飽きる
百六十六・・・・自分の尻は、自分で叩かなければ進めない
百六十七・・・・頑丈堅固なものは、ピンポイントに弱点を持つ
百六十八・・・・崩壊の無い生活と、死の無い人生に、生きる気概は興らない
百六十九・・・・自分を慰める習慣は、自分の成長を妨げる
百七十・・・・・祈る神仏は多勢でも、実践出来るのは自分しか居ない

百七十一・・・・山に棲む人は、その山の高さを気にしない
百七十二・・・・不足を、生きる活力にするのが人生の醍醐味
百七十三・・・・大に怯み、小を侮っている間は、自分の価値は上がらない
百七十四・・・・好悪を常とすれば、人は去る
百七十五・・・・人格は、葛藤の中で変化する
百七十六・・・・正義は、非情の中にしか発揮出来ない
百七十七・・・・夏に寒さを恋しがる人は、冬には暑さを恋しがる
百七十八・・・・楽天家は都合よく物事を解釈し、悲愴家は都合を考慮して苦しむ
百七十九・・・・怖れは、防御本能の警告
百八十・・・・・口と態度で敵を作る人は、作った敵の存在に気が付かない

百八十一・・・・自分の気持ちを持て余す所に、悪魔が囁く
百八十二・・・・交友は表面を見て始まり、裏面を見て終わる
百八十三・・・・希望的観測は、臨機応変な処置を誤らせる
百八十四・・・・無意識に口をつく言葉には、内面が表れる
百八十五・・・・根性と勇気で奮い立つ人に限って、持久力と地力に欠ける
百八十六・・・・反発は、エネルギーを生む
百八十七・・・・無知は、困窮の種
百八十八・・・・慰めて、褒めてくれる人が、必ずしも自分の為になる人とは、限らない
百八十九・・・・すべき拒否と、出来ない拒否は、対処を誤る事によって苦悩となる
百九十・・・・・失敗を知らない人は、パターンに陥り易い

百九十一・・・・生きている限り、続きは来る。それがテレビドラマと人生の大きな違い
百九十二・・・・試練は、逃げ腰に厳しく、立ち向かう姿勢に優しい
百九十三・・・・恥と悔しさも、糧に出来れば予防接種と同じ
百九十四・・・・自分の力を行使しない人ほど、状況を重んじる
百九十五・・・・遠くに幸せを求める人と、近くに敵を作る人に、安らかな日は来ない
百九十六・・・・恨みは、抱く人の心の中だけで、一方的にすくすくと育つ
百九十七・・・・想像力は勝手に膨らんで、勝手に歩き出す
百九十八・・・・引き際よりも大事なのは、引かない為の備え
百九十九・・・・敢えて大人に成り切らないのも、大人の技
二百・・・・・・人は、皆それぞれに違うと認識する事が、同行の第一歩

二百一・・・・・変化を嫌えば、何れ進退が極まる
二百二・・・・・傾いた家の補強には、一生を費やす
二百三・・・・・自分の利益は、相手の利益を考慮しなければ水泡に帰す
二百四・・・・・言葉に頼って、通る主張は無い
二百五・・・・・感動は事の次第ではなく、心の次第
二百六・・・・・人は、善行より悪行に慣れる
二百七・・・・・認めない人には、それは無いのと同じ
二百八・・・・・驚きと感動は、人の口を徘徊する
二百九・・・・・失敗は、忘れる事によって繰り返す
二百十・・・・・自分の都合が勝り始めた頃から、他人との距離が開く

二百十一・・・・人は、好奇心を忘れた頃から退屈な人生に入る
二百十二・・・・人は、他人や物事にではなく、自分の打算に縛られて生きる
二百十三・・・・苦痛は心の中に留まり、快楽は忘却の彼方に去る
二百十四・・・・いわれの無い金品を身に付ける習慣は、自分の価値を損なう
二百十五・・・・嫌う人は総てを嫌い、好む人は一片を好む
二百十六・・・・虎は猫にも、猫は虎にも、人は獣にもなる
二百十七・・・・家庭の平和は皆の尽力、その崩壊は一人の理不尽
二百十八・・・・心は、閉ざす事によって苦しみを生み、開く事によって喜びを生む
二百十九・・・・自分を持たない人は、節操も持たない
二百二十・・・・力を持たない人の自己主張は、誰の耳にも届かない

二百二十一・・・恥も悔しさも、受け止めなければ肥やしにならない
二百二十二・・・苦痛に耐えるのは脳の拷問
二百二十三・・・脳は、快楽を優先する
二百二十四・・・脳は、思い込みに騙され易い
二百二十五・・・組織のまとまりは、人間性より価値の共有
二百二十六・・・傷ついた言葉は鮮明に覚えているが、傷つけた言葉は全く覚えていない
二百二十七・・・物事に執着する人ほど、後悔と懺悔が多い
二百二十八・・・言葉によって築かれた信頼は、言葉によって壊れる
二百二十九・・・安易に助けを乞う人は、その必要をなくした時から疎遠になる
二百三十・・・・大事は、些細な事から始まる

二百三十一・・・悩みは、相手の都合を考える人に起き易い
二百三十二・・・人は、自分の優しさに救われ、殺伐とした自分に傷つく
二百三十三・・・攻める力と受ける技は、総ての基本
二百三十四・・・根拠の無い自信は、災難の呼び水
二百三十五・・・人は、想像力によって生き、それによって自滅する
二百三十六・・・人間は自分の想像力の範囲を超えられない
二百三十七・・・疑い深い人ほど、信じた人を疑う事を忘れる
二百三十八・・・人間の総ては想像力の賜物
二百三十九・・・口の軽い人ほど、腰が重い
二百四十・・・・悲しみを知らない人は、幸福を反故にする事をためらわない

二百四十一・・・商売は悪魔が企んで、天使が売るのがベスト
ニ百四十二・・・自分の改革は、想像力の改革から
二百四十三・・・新たな事は、既成のものを壊す事から始まる
二百四十四・・・得手に頼れば、進化が止まる
二百四十五・・・食欲も性欲も、脳の次第
二百四十六・・・夢と、希望と、若さは、時間の経過によって萎む
二百四十七・・・自分を重視する人は、社会で軽んじられる
二百四十八・・・人は、自分の心配の気休めに、他人の心配をする
二百四十九・・・結果を見て行動する人は、常にうろたえる
二百五十・・・・人生は、護りの分だけ苦労が多い

二百五十一・・・他人の後に続く習慣は、我が道を行く事を忘れさせる
二百五十二・・・草木に覆われた崖ほど、危険なものはない
二百五十三・・・この期に及んで保身に努めれば、返って傷口を広げる
二百五十四・・・必ずしも正義が正しいと言い切れない所に、人間味がある
二百五十五・・・自信の無さが、逸る気持ちと気後れを後押しする
二百五十六・・・時代の流れに敏感な人ほど、人生の消費に鈍感
二百五十七・・・自分の人生は、世間の問題ではなく、自分の問題で決まる
二百五十八・・・十二分な力の余力が、身を護る
二百五十九・・・何も無い時間の経過が嬉しいのは、充実した過去の褒美
二百六十・・・・意気込みを頼って事に当る人は、意気込みが萎えた時に挫折する

二百六十一・・・逃げも隠れもしないと広言する人ほど、いざとなれば逃げ隠れする
二百六十二・・・「でも」、「然し」、を多用する人は、それが癖から出る言葉と知らない
二百六十三・・・障害の大きさは、想像力が決める
二百六十四・・・進化は、逆境を乗り越える力によって始まる
二百六十五・・・頭で知った人は、体で知った時に認識を改める
二百六十六・・・行動力の伴わない想像力は、睡眠中の夢の範疇を出ない
二百六十七・・・一歩踏み出しても、一歩退いても、違う世界がある
二百六十八・・・人は、死を悟る頃に仏心に目覚め、その仏心が慙愧の念を呼び覚ます
二百六十九・・・他人の心配は、自分の苦労を忘れさせる
二百七十・・・・人の話を聞く人は騙され易く、聞かない人はつまずき易い

二百七十一・・・記憶は、時間の経過の中で、創作される
二百七十二・・・自分の意見を曲げない人は、いずれその意見と供に自滅する
二百七十三・・・災難のタネは、普通の中で穏便に育つ
二百七十四・・・しがらみが見える間は、何も出来ない
二百七十五・・・ぐうたらは時として、癒しとなる
二百七十六・・・人は、永年に亘って、他人と一つの言葉を共有する事は無い
二百七十七・・・自殺は、自分を状況から救う手段の一つ
二百七十八・・・目算と打算は、相手の問題から狂い出す
二百七十九・・・処世とは、他人の中で自分を発揮する事
二百八十・・・・治と乱は、引き合う

二百八十一・・・狭間に生きるのは、生活の知恵
二百八十二・・・深刻に考え過ぎても、考えなくても、思い通りにならないのが人生
二百八十三・・・人は、他人の存在によってのみ、自分を認識出来る
二百八十四・・・ストレスは、ギャップによって生じる
二百八十五・・・打算で生きる人は、何れ自分を見失う
二百八十六・・・気軽に借金を頼む人は、返す時に渋る
二百八十七・・・踏み越えてはならない線と、踏み越えなければならない線は岐路になる
二百八十八・・・見ない心遣い、聞かない思い遣り、言わない優しさは夫婦の嗜み
二百八十九・・・今日の最悪よりも、明日の最悪の方が、事態は常に深刻
二百九十・・・・大きな失敗は意欲のあるときに起こり、小さな失敗はそれの無い時に起こる

二百九十一・・・人は、意欲のある時には、悲観的にならない
二百九十二・・・利殖に励む友人は、何れ目の前から消える
二百九十三・・・社会に対する悲観は、自分に対する悲観から始まる
二百九十四・・・恐れは、偶然に芽生えて、根拠の無い不安の中で確たるものに育つ
二百九十五・・・人は、限界を超えた体験の中で、隠された自分に目覚める
二百九十六・・・幸福は、それを祝福する他人によって実感できる
二百九十七・・・夢は、現実の中で努力しなければ実現しない
二百九十八・・・為すべき事を知っているのと、それが出来る事は、別の問題
二百九十九・・・懺悔の心と後悔の念は、時間の経過が軽減する
三百・・・・・・装飾品を誇る人に、人間味を期待しない方が賢明

三百一・・・・・評価は、常に極論に走る
三百二・・・・・遣り過ぎない心得は、継続への教訓
三百三・・・・・為すべき事を忘れて奇跡を求める人は、宗教にはまる
三百四・・・・・一見、正常の範疇にこそ、異常が潜む
三百五・・・・・備えを怠る人ほど、当てのない果報を待つ
三百六・・・・・良く見て、良く聞いて、良く考える人に、活動家は居ない
三百七・・・・・今と、今までの履歴は、未来の自分を語っている
三百八・・・・・それを切望する人は、何れ、それにも慣れる事を考慮しない
三百九・・・・・消沈した人には、思い遣りより、心意気が響く
三百十・・・・・思慮深い人は前に出られず、短慮な人は後に引けない

三百十一・・・・節操と節度は、何よりの災難よけ
三百十二・・・・普通の生活の中にこそ、生きる事の真髄がある
三百十三・・・・食事と、恋愛と、睡眠には、パワーが必要
三百十四・・・・据え膳に手を付けないのが、武運長久のコツ
三百十五・・・・その状況は、観念した時に決定的なものになる
三百十六・・・・自己責任に言及する人は、被害者意識を持たない
三百十七・・・・忘れた過去は他人の中で生きている
三百十八・・・・手段を選ばない目的は、達成した時に、その意義を失う
三百十九・・・・反抗と無関心は、自己中心の表れ
三百二十・・・・人間は、幸福な環境にも、不幸な環境にも慣れる

三百二十一・・・人間の思考は、打算の上に成り立っているのが本来
三百二十二・・・恨みは、自分の心に波風を立てるだけ
三百二十三・・・恨みを抱けば恨みの念に支配され、感謝の心を持てば感謝の念に支配される
三百二十四・・・詐欺師は、相手の素質を瞬時に見抜き、それに訴える
三百二十五・・・逃げる人は時を稼ぎ、逼迫した人は時を迫る
三百二十六・・・脱皮したがる人は、狙われ易い
三百二十七・・・空腹と欲望は、満たされて終わる
三百二十八・・・精神的利益と不利益は見解の相違による
三百二十九・・・腹と本音は、相手の為に隠すのも、思い遣り
三百三十・・・・人生に迷いが生じるのは、遣りたい事が見つからないだけ

三百三十一・・・老いと、病と、死が、確実に待つ事を知らずに生きるのは不幸な平和
三百三十二・・・無知は、苦悩と貧困の温床
三百三十三・・・侠気と融通性の無いところに、本当の友情は育たない
三百三十四・・・無遠慮は、無節操になり易い
三百三十五・・・逆境は修練の場、順風は戒めの時、本当にそう思えれば本物
三百三十六・・・復縁には、災いの種が付いて来る
三百三十七・・・自己弁護に走る人は、それが習慣になる
三百三十八・・・人の基本は、保守保身
三百三十九・・・人は、安心する為に、物事を決め付ける
三百四十・・・・マニュアルは、事と次第と人間性を考慮しない

三百四十一・・・成金は、使う事でその力を知り、金持ちは、使わない事でその力を蓄える
三百四十二・・・金持ちほど、小銭の出し入れに気を配る
三百四十三・・・小は大を穿ち、大が小を侮るのは、人の本質
三百四十四・・・壊す事に、それに要した時間は考慮されない
三百四十五・・・人と水は、固まらない限り、方円の器に治まる
三百四十六・・・築き上げた物の価値は、無くした時に分かる
三百四十七・・・人の価値と資質は、自覚の範疇には無い
三百四十八・・・人生の壁と境界は、その人の思い込みが創る
三百四十九・・・人は、苦難から逃げる事と、快楽に溺れる事に因って、地力を落す
三百五十・・・・尻馬に乗る習慣は、降ろされた時に行き場を見失う

三百五十一・・・流れを創る人と、それに乗る人によって、社会は成り立っている
三百五十二・・・逆らわず、呑まれず、流されないのが、処世の嗜み
三百五十三・・・多少の毒気と、それを補う人格は上司の心得
三百五十四・・・喧嘩は、収まる先を見越して始めなければ、あらぬ方向へ走る
三百五十五・・・処世は、身構えより、心構え次第
三百五十六・・・履歴を問われるのは入り口、人間性を問われるのは出口
三百五十七・・・気持ちで行動する人は、斑気が多い
三百五十八・・・出過ぎた嫁は、何処に居ても波風を立てる
三百五十九・・・忠告に耳を傾ける人は無難でも、傾け過ぎる人は多難
三百六十・・・・想ったほどであるか否かは、心構えによる

三百六十一・・・誰かの為にそれをしたと思う人は、報酬に不満を持つ
三百六十二・・・他人に利用されている間が、人の華
三百六十三・・・下地の出来ていない人は、芽を出して枯れる
三百六十四・・・倒れない柱と人には、見えない支えがある
三百六十五・・・見解の相違は、摩擦の始まり
三百六十六・・・人は、自分に足らないものを標榜したがる
三百六十七・・・家庭は、理想を現実にする為の努力によって崩壊する
三百六十八・・・仕返しは、新たな火種となって帰ってくる
三百六十九・・・学校教育は、マニュアル教育の代名詞、外れた道には通じない
三百七十・・・・暇の継続は精神を侵し、多忙の継続は肉体を侵す

三百七十一・・・許せない事が多いのは、欲求不満の表れ
三百七十二・・・好奇心は人生のカンフル剤
三百七十三・・・命も金も、何の為に必要かを知らなければ活かせない
三百七十四・・・考えた末の答えも、時と状況によって見直すべき
三百七十五・・・相手を見て態度を変えるのは、自分に自信の無い人の知恵
三百七十六・・・形は後から出来て、先に壊れるのが自然の成り行き
三百七十七・・・行き詰るのは、その人ではなく、その人の想像力
三百七十八・・・好機は、備えて迎える人になびく
三百七十九・・・無償で尽くす人は、その対象を失った時に、気持ちの置き所を失う
三百八十・・・・人生は、形に囚われる事によって無意味なものになる

三百八十一・・・晴天の霹靂は、想像力の欠如
三百八十二・・・不純な動機ほど、持続力がある
三百八十三・・・自分の力に頼らない人は、安易に他人の力に頼る
三百八十四・・・強気は、自分の弱さを知らない事によって起こる
三百八十五・・・金銭は意識する事によって減り、忘れる事によって貯まる
三百八十六・・・狭くて深いのがプロの知識、浅くて広いのがアマチュアの知識
三百八十七・・・熱の冷めた相手を振り向かせる努力ほど、無駄な努力は無い
三百八十八・・・目標の無い人生ほど、衣食住への関心度が増す
三百八十九・・・人は、自分の思い込みで、相手を決め付ける習慣がある
三百九十・・・・他人への関心が高いほど、自分への関心が低い

三百九十一・・・内面の弱さの反動は、見せ掛けの強さとなって表れる
三百九十二・・・自分を大切にする事と、自分に甘い事は似て、否なる結果を生む
三百九十三・・・その物の価値は、それを想う人の価値でしかない
三百九十四・・・物事は、決め付ける事によって、事実とは関係なくそれになる
三百九十五・・・あるがままに死ぬ覚悟の無い人が、あるがままに生きるのは無謀
三百九十六・・・印鑑を押す側に、有利な契約はない
三百九十七・・・問題を起こす原因は、当人の自覚出来ないところに隠れている
三百九十八・・・財布の紐は、持ち主の都合より、相手の魅力を優先する
三百九十九・・・目を瞑って良好なのは男の関係、口を瞑って良好なのは女の関係
四百・・・・・・現状を悲観する人は、それを打開する努力を忘れている

四百一・・・・・欠点は、魅力が失せた頃から目に付き出す
四百二・・・・・言葉で信頼を得ようとする人の行動は、軽い
四百三・・・・・欠点を善処すればするほど、面白みの無い人間になる
四百四・・・・・結果は、思考力より行動力の成果
四百五・・・・・悪気の無い人の口と行動は、無自覚に軋轢を生む
四百六・・・・・些細な努力の蓄積が、大きな決断の後押しをする
四百七・・・・・備えを忘れた人が、「まさか」と言う
四百八・・・・・自分の弱さと愚かさは、万人に共通する
四百九・・・・・比較対象の中にしか見つけられない価値は、直ぐに忘れる
四百十・・・・・望みは、綿密な計算と、不退転の覚悟と、怠らない努力によって叶う

四百十一・・・・裏と表、昼と夜、満潮と干潮、総てに共通する理論はない
四百十二・・・・失敗に懲りない人は破滅するが、挫折に懲りない人は成功する
四百十三・・・・人を信用するのは、保証の無い保険を掛けて安心するようなもの
四百十四・・・・喧嘩と懺悔には、無言が効力を発揮する
四百十五・・・・矛盾は、正論を振りかざす人の行動に見られる
四百十六・・・・貸した生活費は、何処かで生きるが、それ以外の貸金は必ず野垂れ死にする
四百十七・・・・肉体の衰えは、生活と精神の質を落とす
四百十八・・・・追求する人には、周辺の景色が目に入らない
四百十九・・・・不安と恐れは、弱気によって膨らみ、強気によって萎む
四百二十・・・・痛みと苦悩は、癒された時に、それを救ってくれた人の恩と共に忘れる

四百二十一・・・貯蓄と借金は、目を離す事によって膨らむ
四百二十二・・・人は、社会よりも、自分の中の惰性に流される
四百二十三・・・破滅は、慣れから始まる
四百二十四・・・あぶく銭は、虫が付きやすい
四百二十五・・・性格は、金遣いに表れる
四百二十六・・・金と健康は、逼迫した時に理性を失う
四百二十七・・・本当に、それが良かったか、悪かったか、自分が死ぬ時にしか分からない
四百二十八・・・体力は精神力を支配し、精神力は想像力を支配する
四百二十九・・・心は、弱気になる事によって、逃げ出す準備を始める
四百三十・・・・自分の価値観を持たない人は、他人の価値観の中で自分を見失う

四百三十一・・・老いと、病と、死は、貴賎を問わない
四百三十二・・・良い事も、悪い事も、ほとばしり、溢れるものが、自然に形を成す
四百三十三・・・人は、自分の都合の良い考え方に、無意識に従ってしまう
四百三十四・・・金を持たない人ほど、金で何とかなると考える
四百三十五・・・後悔と懺悔は教訓の山
四百三十六・・・破綻も成功も、些細な行動の積み重ね
四百三十七・・・現状が変われば、未来も変わらざるを得ない
四百三十八・・・自分の弱さと愚かさを知らない間は、危うい
四百三十九・・・「私が一体何をした」、と嘆く人は、何もしなかった事に気が付いて居ない
四百四十・・・・借金に溺れた人を助けるのは、共倒れの覚悟がいる

四百四十一・・・子供の言葉をさえぎる親は、腹の中で喋る子供を育てる
四百四十二・・・社会性を持たない親は、育てた子供に付けを払う
四百四十三・・・子供は、社会の預かりものである事を理解できない親が、子育てに迷う
四百四十四・・・「大きくなったら何になる」、この問いかけが小さな自覚を促す
四百四十五・・・否定と居直りと謝罪を常とする人は、懲りない
四百四十六・・・時間と金の価値は、それを使う人の価値観で変わる
四百四十七・・・人は、見えない先を想像力で補う
四百四十八・・・染み付いた垢は、環境を変える努力によって落ちる
四百四十九・・・悪気の無い人の落ち度を、笑って許す当事者は居ない
四百五十・・・・小銭に大らかな人は、大金に細かい

四百五十一・・・怒りと恨みには、自責の念からの無意識の逃避がある
四百五十二・・・窮地は、焦る程に深刻さを増す
四百五十三・・・本当に恐るべき闇は、自分の心の中にある
四百五十四・・・占いに頼って生きるのは、他人の口車を頼って生きるのと同じ
四百五十五・・・規則正しい思考と生活は、不可抗力を増やす
四百五十六・・・人は、その感情を持ち続ける事は出来ない
四百五十七・・・小さな幸福を喜ぶ人に、不幸は嘆く人に、共に大きくなって帰ってくる
四百五十八・・・人は、自意識との馴れ合いによって引き篭もる
四百五十九・・・好意で築かれた信頼関係は、心変わりによって終わる
四百六十・・・・人と物を活かすのは、観察力と想像力

四百六十一・・・小さないさかいは、繰り返す内に取り返しのつかない事態を招く
四百六十二・・・時間の経過は、固執した事も執着した事も忘れさせる
四百六十三・・・他人に腹が立っている間は、自分の落ち度が見えない
四百六十四・・・他人を責める言葉は、自分の心にも波風を立てる
四百六十五・・・自分の居場所と天職を探す人は、一生を費やす
四百六十六・・・縁起を担ぐ習慣は、生活を縁起で縛る
百四六十七・・・現在と過去を分析すれば、その未来を予測する事は難しくはない
四百六十八・・・その失敗が人生を左右するのは、それを覆す努力を怠るから
四百六十九・・・知識は平面に納まり、現実は立法的に広がる
四百七十・・・・成功には偶然の、失敗には必然の、後押しがある

四百七十一・・・原因を作らない人は、結果の心配をしなくてよい
四百七十二・・・油断は、安心感の中に生まれる
四百七十三・・・淫妄は理性の問題ではなく、想像力の抑制の問題
四百七十四・・・未来は、過去に囚われる事によって限定される
四百七十五・・・苦境で揺らがないのが、本当の自信
四百七十六・・・運命の観念は、過去の出来事への追随に過ぎない
四百七十七・・・「希望」と「夢」は実態のない処方箋
四百七十八・・・思い込みは考え方を支配し、その考え方は行動を支配する
四百七十九・・・不安と恐怖の継続は心を蝕み、それが高じて肉体が病む
四百八十・・・・精神状態の不安定な時に巡らせた思考で、プラスのものは何も無い

四百八十一・・・行動を伴わない願望は、空の植木鉢に水を遣るようなもの
四百八十二・・・生活の潤いは、一見無駄な時間と金銭がもたらす
四百八十三・・・苦境は、取り繕う程に深まる
四百八十四・・・人間関係は、距離感を誤る事によって狂い出す
四百八十五・・・現状逃避は、怪我と病気に逃げ道を作る
四百八十六・・・人は、護るものが小さいほど、度量は大きくなる
四百八十七・・・言葉は強調によって力を持つ
四百八十八・・・人生の目算は、些細なことを軽視する習慣によって狂い出す
四百八十九・・・他人の足元を見る人は、その足元を他人に見られ易い
四百九十・・・・努力と怠慢は継続によって形を為す成す

四百九十一・・・他人の金を当てにする習慣は、何れ破綻する
四百九十二・・・如何なる不幸も幸福も、その状況に止まり続ける事は出来ない
四百九十三・・・後悔と懺悔の習慣は、徐々に体力と精神力を奪う
四百九十四・・・体重の増減は、需要と供給のバランス
四百九十五・・・漠然とした不安と恐れは、肉体活動の衰退が引き金
四百九十六・・・余裕は、無くなる迄の華
四百九十七・・・小賢しい発想が、小賢しい行動の基
四百九十八・・・負荷は、肉体を鍛え、精神を萎縮させる
四百九十九・・・精神は、自分を捨てる事によって強くなる
五百・・・・・・行動を起こさない人に限って、明日の心配が多い

五百一・・・・・自分の未来は、自分の向いている方向にある
五百二・・・・・今の自分が、十年後の自分の肥やしであれば、前途は洋洋
五百三・・・・・人は、自分の想像力の囲いからはみ出せない
五百四・・・・・肉体と精神は、常に共鳴し合っている
五百五・・・・・無謀な積極性と慎重な消極性は、諸難の元
五百六・・・・・どうにか成るのは、飽くまでもその範囲の内でしかない
五百七・・・・・挫折は、諦める事によって決定的になる
五百八・・・・・自分の生き方を模索しない人は、社会のあり方に翻弄される
五百九・・・・・幸福感は、それを感じる感性が生み出す
五百十・・・・・弱気な精神の揺らぎは、肉体の不調となって表れる

五百十一・・・・邪まな考え方は、精神状態を攪乱させる
五百十二・・・・思い込んだ時から、限りなく現実へ近付いていく
五百十三・・・・考え方を変えなければ、見える世界も変わらない
五百十四・・・・強気には、溢れ出るものと、搾り出すものがある
五百十五・・・・鬱憤は、自分の事情で芽生え、他人を口実に膨らむ
五百十六・・・・体は銀行、脂肪は貯金、増えすぎても減りすぎても健全さを欠く
五百十七・・・・好機は弱気を嫌い、窮地は見境の無い強気を好む
五百十八・・・・押さえ込まれた鬱憤は、累積しながら爆発の機を窺う
五百十九・・・・現状を維持する考え方が衰退の始まり
五百二十・・・・無理と云う境界は、心境によって創られ、行動を遮る

五百二十一・・・風邪と冷え性は、寒さに対する潜在的恐怖心が煽る
五百二十二・・・自分の本性を知らない内は、何に対しても満足できない
五百二十三・・・遣るべき処には利益があり、遣らざるべき処には不利益がある
五百二十四・・・価値は、個々の認識次第であり、万人に共通するものは無い
五百二十五・・・事の真相の殆どは、当人にも分からない
五百二十六・・・余暇を退屈に過ごせば堕落に至り、思索に励めば利益を生む
五百二十七・・・挫折と否定的見解は一対
五百二十八・・・際限の無い我慢と辛抱は、肉体と精神のダメージになる
五百二十九・・・習慣的な懺悔と後悔は、向上心とは無関係
五百三十・・・・頑張る事にも、頑張らない事にも慣れる

五百三十一・・・担ぐ縁起は其のうち無くなる
五百三十二・・・過労は、肉体よりも脳の疲労による
五百三十三・・・カロリーは、「如何に摂取したか」よりも「如何に使ったか」がポイント
五百三十四・・・克服した逆境は、忘れるまでの財産
五百三十五・・・現状逃避は、より嫌悪な現状へと至る
五百三十六・・・人は、自分に不満がある時に、他人をとやかく言う
五百三十七・・・恋愛は想像力の賜物、現実の中では育たない
五百三十八・・・自己主張は、心の狭さの表れ
五百三十九・・・精神を語り、肉体を顧みない哲学は、役に立たない
五百四十・・・・信念は、一般論の及ばない処にも道を創る

五百四十一・・・人は、考え方によって如何様にも変わる
五百四十二・・・自分を責めるのも、他人を責めるのも、根は同じ
五百四十三・・・その関係が深い程、保証価値は高い
五百四十四・・・迷いも、行き詰まりも、勉強不足から
五百四十五・・・壊れた道を修復する努力は、新たな道を創る時に活かされる
五百四十六・・・頑なな規則正しさと、統制出来ない不規則は、免疫力を奪う
五百四十七・・・プレッシャーは、消極的に受ければ強まり、積極的に向かえば弱まる
五百四十八・・・人は、最後には自分に従う
五百四十九・・・悲しい暇は精神を病み、嬉しく無い多忙は肉体を病む
五百五十・・・・自分の正しさと、他人の誤りは、不満の中に収まる

五百五十一・・・あれも、これも、と想っている間は結局何も出来ない
五百五十二・・・不安は、迅速に取り除かなければ、徐々に精神を蝕む
五百五十三・・・発想の根拠は、常に自覚して置かなければ、それに振り回される
五百五十四・・・毒蛇に咬まれた人は死んでも、毒蛇を咬んだ人は死なない
五百五十五・・・決着の付かない自責の念は、うつ病の扉を開く
五百五十六・・・視覚は、電燈の当たる範囲にしか及んではいない
五百五十七・・・聴覚は、意識活動に左右される
五百五十八・・・感覚は、精神の支配下にある事を感じさせない
五百五十九・・・触覚は、その人の感性を反映させる
五百六十・・・・発想は、知識の範囲を超えられない

 






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