「脳卒中の後遺症とリハビリ」

 

  脳卒中の後遺症とリハビリ



 脳卒中とは脳梗塞や脳出血などの総称であり、心筋梗塞、癌と並んで三大疾患の一角を占めるが、心筋梗塞と同様にこの分野に於ける医学の進化は目覚しく、早期に的確な治療を受ける事さえ出来れば、先ずは命に支障をきたす事は殆ど無い。然し、他の病気と違って、この疾患の恐ろしいところは、場合によっては助かった事を素直に喜べないところにある。心筋梗塞と同様に、医学の進歩によって早期に専門病院に至る事が出来れば当面は殆どの命は助かるが、問題は助かった後に後遺症として残る半身の麻痺である。脳卒中の本当の恐ろしさは脳卒中其のものではなく、脳卒中が残した後遺症にあると云っても過言ではないが、医学は後遺症の面倒までは看てくれはしないし、その確たる術も持ち合わせていない。

 脳外科手術の進歩によって救われる命の陰で、その後遺症に苦しむ患者は量産される一方であり、結果的に医学の進歩が後遺症に苦しむ患者を生み出していると云う皮肉な現象を創り出しているともいえる。事実、これ程に脳外科手術が進歩しなければ、脳卒中後遺症で死ぬまで苦しむ患者の多くは既に鬼籍に入っているのであろう。又、理学療法の発展によって急性期のリハリビが今日の進歩を見る事がなければ、脳卒中によって重篤な後遺症を残した患者の多くは、これまでと同じように半年前後で肺炎によって命を落としているはずである。

 人間にとって、病気で死ぬ事は忌まわしい事で、命が助かることが好い事であると云う前提で捉えるのであれば、脳外科手術の進歩は無条件に喜ばしい事ではある。然し、命を救うのが使命であり、助けた命の行き先は知らないと云うのであれば、それは医学の驕りでしかない。脳卒中医療の一番の問題点は、医療によって救われたはずの命が紡ぎ出す生活の質があまりにも低いと云う事である。手術が成功しながらも、ベッドに寝たきりで家族の介護なくして寝返りさえもうてない患者や、半身麻痺によって手足が膠着するなど、そこには厚生労働省の仕打ちや医学の無理解が存在している。死ぬまで後遺症に苦しむ宿命を背負った患者が生みだされている。彼らは、医学の進歩によって命を助けられた事を素直に喜んではいない。

 脳卒中の後遺症は疾患部と反対側の半身に表れ、左脳が罹患した場合は右半身が麻痺し、右脳の場合は左半身に麻痺が表れるが、麻痺が起こるのは横紋筋によって形成される骨格筋に限られ、平滑筋によって形成する内臓には影響を及ぼさず、例外的に横紋筋からなる心臓も他の臓器と同様に影響を受けない。脳卒中による後遺症は脳の支配を解かれた骨格筋が行き場を失って膠着してしまうことによって起こるのであり、後遺症の程度を決定するのは疾患の程度よりも、リハビリに取り掛かるまでの時間の経過の問題である。脳卒中の後遺症に苦しむ多くの患者は、症状が軽微で短時間で麻痺の緩解をみた場合は別として、重篤な症状で手術などの治療を受けた場合、如何に早くリハビリを開始出来るかが鍵となる。

 脳卒中のリハビリの問題点は、脳卒中によって肉体を動かす骨格筋と脳の連絡網が途切れてしまう事によって、脳の支配が骨格筋に及ばない事であり、脳の支配の及ばない筋肉へのリハビリを如何に開始するかが最大の課題となる。僅か数年前までは、患者の意識が戻ることがリハビリ開始の目安であり、意識の戻らない患者は何ヶ月でもベッドの中で寝たきりで、それが長じてしまうとリハビリを開始する前に誤嚥などを契機として肺炎を起こして死亡するのが一般的であった。脳外科手術の進化によって、手術を受けた患者が手術中や手術後間も無く死に至るケースは格段に減ったが、それによって脳卒中の後遺症で苦しむ患者は格段に増えているのである。脳外科医の仕事は飽くまでも脳卒中で死ぬ患者を助ける事に全身全霊を傾ける事とは云え、あえて医学の功罪を問うのであれば、命を救う事に囚われ過ぎて後遺症の問題を重視してこなかった事にある。

 脳卒中はある意味で一種の怪我と考えるべきであり、手術などの処置が終わった時点で治療と平行して、早急に復帰に向けての作業に取り掛からなければならないが、多くの医療施設で脳卒中の治療と平行してリハビリに取り掛かる事はなく、重篤なケースで意識の回復が遅れた場合、治療のめどがついて理学療法士の世話になる頃には、半身の手足の骨格筋は既に膠着しており、最早理学療法士の手にも余る。これこそが、未だに進化の兆しの窺えない脳卒中の医療現場なのである。一刻も早くリハビリを始める事が後遺症を最低限に抑える唯一の手段であり、この時期に集中治療室に理学療法士が出向いて積極的にリハビリを始めるかどうかが後遺症の程度を決定する。問題は麻痺が残ったままの状態で意識の回復が遅れ、意思の疎通をも欠いた容態の患者に如何にしてリハビリを始めるかと云う事である。然し、この時期に無駄に時間を過ごしてしまうと、脳の支配が解かれて行き場を見失った骨格筋は目まぐるしい速さで膠着を始め、意識が戻った頃には取り返しのつかない肉体と対面する事になるばかりか、リハビリを始めない事によって生命の危険をも増していく。

 脳外科手術の進歩とは裏腹に、その後遺症の対処は遅々としており、脳卒中の後遺症に苦しむ患者は増す一方であるが、リハビリに薬の処方が絡まない関係上、製薬会社と厚生労働省の対処は殊の外、冷淡であり、医療報酬の恩恵に与れない医療界も必然的に患者と疎遠になってしまう傾向にある。医者や理学療法士など一部の医療関係者が、患者の窮状を救うべく頑張ってはいるが、厚生労働省の無理解によって医療報酬が阻まれては如何ともし難く、結果的に脳卒中後遺症の患者は孤立無援で死ぬまで不自由な生活を強いられる事になる。

 脳卒中とその後遺症に於いて留意しなければならない事は、脳卒中とその後遺症は別次元の物と云う認識を持たなければならない、脳卒中疾患の処置を患者が自分で講じる事は不可能でも、後遺症に対するリハビリは自分で十分に出来る。後遺症に苦しむ脳卒中患者の多くは、まだ脳卒中が完治していないと云う認識であり、医学の力によって限りなく元の状態に戻して欲しいと要望するが、現実問題として後遺症に関して脳外科医の出来る事は何もなく、リハビリに関して神経ブロックなどを行わないのであれば、現行の医学には馴染まないと考えられる。脳卒中医療の進歩に対して、その後遺症リハビリの遅れは相当なもので、その殆どは手探り状態であり、確たるものは未だに開発されてはいない。命を救う医療現場と、助かった命で社会復帰をサポートする理学療法の現場と、それを統括する厚生労働省が総力を挙げて本気でマニュアル作りに取り組まなければ、この悲惨な現状を根本的に回避する事は出来ないが、先ずは当事者が脳卒中後遺症の何たるかを理解する事が先決である。

 脳卒中後遺症のリハビリに於いて、それに対する理解力と意欲の大きさが最重要課題となるが、一旦膠着した筋肉を解きほぐして本来の運動が出来る状態に近づけていくリハビリは想像を超えた痛みを伴い、治そうと云う余程の覚悟と、必ず治ると云う確たる信念がなければ挫折してしまう。脳卒中後遺症を抱えて相当時間を経過した患者の殆どは医学の支えもなく、孤軍奮闘しているのが現状であるが、暗中模索の状態で社会復帰に近い状態に回復する事は容易ではない。これほど脳卒中後遺症に苦しむ患者が巷に溢れ、テレビの番組で取り上げるほどの現状でありながら、リハビリへの満足な手引書も存在しない現状は厚生労働省と医学会に見捨てられたのも同然である。

 不自由な半身の麻痺を庇いながら、杖を頼りに懸命に歩くリハビリに励んでいる患者を街中や公園で見受けられるが、現実問題としてそう云ったリハビリで歩行機能を正常に回復させる事は非常に困難であり、それはまさに成果の得られない拷問に近いリハビリである。人体は二百六個の骨と、その骨を支える骨格筋の連動とバランスによって運動をする事が出来るが、歩行に関してはより一層のバランスと連動がなんといっても不可欠である。不自由な手足でバランスを欠いた歩行訓練を積み重ねては治るものは治らない。麻痺によって膠着した足の筋肉をほぐたうえで歩く為の筋肉をトレーニングし、歩行訓練に取り組まなければ本当のリハビリとはいえない。

 本来、脳卒中後遺症に於いてはリハビリと云うよりも、筋肉トレーニングと称した方が分かり易い。歩行訓練によってその機能の回復を図るのではなく、麻痺によって支障を来たした歩く為の筋肉を新たに鍛えた後に、歩行訓練によって歩く機能の回復を図るべきである。骨を動かす事を目的とした骨格筋は、正しい位置に正しい状態で存在して初めて機能を発揮する事が出来るのであり、老人の筋肉に診られるような不活性萎縮の状態であっても、的確に筋肉トレーニングを行なえば機能を回復する事が出来る。したがって半身麻痺におちいって特定の箇所が萎縮した状態で萎縮した筋肉を矯正する事なくリハビリと称して酷使していけば、待っている先は破壊であり回復ではない。

 不幸にして脳卒中に見舞われ、その後遺症に苦しんでいるならば医学に対する依存心を捨て、それが暗中模索としても、手当たり次第であっても自分なりの筋肉トレーニングを開発して取り組むべきである。周りの人間の正しい姿勢や歩き方を真摯に観察すれば、筋肉の動きやつながりが学べるはずである、その時何処の筋肉をどう鍛えれば良いかはそれなりに分かってくるはずである。脳卒中に限らず凡そリハビリと呼ばれるものは、内容よりもそれに割かれる時間の長さがものをいうのであり、一日一時間や二時間程度のリハビリで成果を得るのは難しく、理学療法士や医者に頼っていては折角の回復の機会を逸してしまう恐れがある。一日の大半を筋肉トレーニングに費やす為には、最早自分の力に頼る他はなく、それは又現況の医学に馴染まないのである。

 長期入院によって生じる不活性萎縮による筋肉萎縮であれば、それなりのバランスが保たれているために再起も容易であるが、半身麻痺によって左右の筋肉のバランスを欠いた状態の筋肉であれば、先ず個々の筋肉を鍛えて左右の筋肉のバランスを取り戻す為の筋肉トレーニングをする必要があり、萎縮した筋肉のままで歩行訓練などのリハビリを行なっては再起の道は遠のくばかりである。本来、筋肉トレーニングは脳の指令によって行なわれるが、脳卒中の患者の場合麻痺によって脳からの指令が筋肉に伝わるのが滞っており、自分の意思で筋肉を動かす事非常に難しい状態になっている。然し、我々の筋肉には連動に対する記憶が存在し、脳がその記憶をなくしても、個々の筋肉はその運動を覚えている。つまり歩く為の動作を繰り返しながら筋肉を鍛えていけば、実際に歩く事によって鍛えるよりも遥かに効率よくトレーニングする事が出来る。

 麻痺の症状が起こる疾患は様々であるが、何れの場合も麻痺の原因究明と症状改善に関しては医学的に未解明な分野である。。然し、的確な筋肉トレーニングを施す事によってその症状の改善を見る事は可能である。逆説的にいえば筋肉トレーニングをしない限り麻痺症状の改善をみる事は難しいが、仮に筋肉トレーニングに拠っても麻痺症状の改善が図れない場合であっても、筋肉を本来の状態に改善する事は無理な事ではない。何れにしても、脳卒中後遺症のリハビリは如何に的確な筋肉トレーニングに励むかによる。リハビリ関係施設での筋肉トレーニングの取り組み方いかんで社会復帰は左右されるのである。当初は手足が思うように動かないが、根気よく諦めずに筋肉をトレーニングする過程で徐々に自分の意思で動くようになってくる。

 「脳卒中の疾患は既に完治している。筋肉に支障があって麻痺した半身や膠着した手足が動かせないのではない。眠っている筋肉の痛みに耐えて筋肉トレーニングに励めば必ず改善する。」、と信じてリハビリに取り掛かる事が何よりも大切である。右脳の何処や左脳のどの部分を疾患して、MRIの影像でその部分が機能していない等と医者に言われても大して気にする事はなく、筋肉が動き出せば脳のバックアップシステムも機能するのであり、筋肉からの刺激は必ず脳に届き、その刺激が脳を甦らせる事は何れ医学の側からエビデンスされる時が来る。
 






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